新潟地域文化デジ蔵セミナー上越開催

去る2002年6月28日(金)上越市にて 「新潟地域文化デジ蔵セミナー」が開催されました。

上越会場
■と き/平成14年6月28日(金)
■ところ/上越観光物産センター 2階 会議室

◆第1部:講 演

[演 題] 古文書等のデジタルアーカイブ実践事例紹介
[講 師] 野中 治 氏 (富士写真フイルム 情報システム部)

「国立国会図書館(以下NDL)の明治期のデジタル変換」などをはじめとして国内の各種博物館・図書館・大学の収蔵する古文書の「デジタル化」を手掛け、紙文化財におけるデジタルアーカイブ事業の実務面におけるスペシャリストとして注目されている、富士写真フイルム情報システム部の野中氏にご講演をいただいた。

◆第2部:パネルディスカッション

[テーマ]

「地域万歳 ―地域の文化を見直し、新たな地域の財産を創造する―」

[パネリスト] 小掠 繁夫 氏 (糸魚川木地屋会会長)
武内 朋廣 氏 (上越市史民俗部会調査執筆委員)
高橋 由美子 氏 (十日町ディジタルコンテンツ研究会)
野中 治 氏 (富士写真フイルム情報システム部)
[コーディネーター] 田中 カツイ 氏 (ライフコーディネーター)

糸魚川で木地屋会の保存会活動を続けている小掠氏、名立町で神楽舞の研究をする武内氏、十日町市でのデジタル事例の経験を持つ高橋氏、そして第一部の野中氏にもご登場いただき、新潟の地域の文化や歴史を伝える、活かすためには何が求められているのか、デジタル化によってもたらされるもの、地域を見つめることから見えるものは何かなどについて語っていただいた。

小掠 繁夫
木地師という特殊な職業の歴史を何としても伝えたい。資料収集から活動を開始、資料館を設け、その後「伝承したい」という気持ちが行政の援助を呼び、資料整理を雇用対策として採用してもらうまでに至った。少人数でも、伝えたい思いのある者だけで活動していることが結果として良かった。
高橋 由美子
忘れ去られてしまう暮らしぶりや文化をどうやって伝えるのか、デジタル化で記録することはできるが、さらに「雪国の人の想い」も発信したい、伝えたい。デジタル化のプロセスの中では、関わった地域の人が改めて自分の地域の見つめ、再発見することにつながった。
武内 朋廣
  神職の舞手として、また民俗調査をする研究者として西頚城に伝わる神楽を比較してみると、谷を隔てて様々な違いが見えてくる。市町村合併を控えた今、それぞれの地域の神楽を残すには、あるいは次代にどう受け継がれるのか。受け継ぐ子供達が触れる手段としてもデジタル化には興味がある。
野中 治
形あるものだけでなく、そのものの持つ歴史、音など形のないものを残すことも重要である。古いものを後世に残そうと言っているが、実は今が古いかもしれない。今が大事なのかもしれない。今残す作業に取り組まないと残るわけがない。

■伝承する人々の生の声
田中
 “地域文化を見直し、新たな地域の財産を創造しよう”、これが今日のテーマである。最初に地域でいろいろなお取り組みをしていらっしゃるパネリストの皆様から、それぞれの活動を伺ってみたい。
小掠
 木地屋会という名称は、地区の名前をとった会である。「糸魚川市大字大所字木地屋」という地名をとった会の名前である。この木地屋という地名は、もともとは職業名からきている。地名は「大所入の平」というのが地名であって、その場所へ木地師というひとつの職業集団がその地に落ち着いて永住したというところから、“木地屋”と呼ばれているうちに地名が木地屋となり、現在に至っている。
 木地師というのは移動して歩くものなので、行った先々で小屋がけで作業をするというやり方をしていた。今の大所の地へ入って初めて現在のかやぶきの家を持ち、定住するようになったのである。
 この木地屋会という会は、そもそも集落が昔からたった9戸の小さな集落で、さらに全部姓が小掠で、全戸が木地師の職業だった。しかしながら、山の中の集落はみんな過疎になり、若い人は全部町へ出てしまったが、このままでは誠に寂しい。なくなるのは誠にしのびないから何とか残していきたいという話が誰からともなく持ち上がり、木地師が今まで使ってきた道具類とか、製品の半製品、あるいは完成品をまず収集しておこうというのが始まりだった。さらにそこから、今のうちに資料を収集して、できれば資料館という形で皆さんに見ていただこうという発想に発展した。ところがたった9戸の集落では資金が無い。結局資金がないのでなかなか手をつけられない。市のほうへもお願いをしたり、いろいろと資金を捻出するための活動を続けてきたが、これもなかなか遅々として進まない。
 そこでまずは資料収集をはじめ、時には先祖の足跡を訪ねて、会員が奔走して長野・富山・滋賀県に及ぶまで調査をすることもあった。
 全員で12名の小さな会である。ところがかえってこの小さな会が活動を進めていく上で良かったのではないかと感じている。これが仮に会員を30名、40名と木地屋地区の人でない方たちまで参加していただいて大所帯にしたところで、果たして現在に至ったであろうかと疑問を感じる。全部集落の人々なので当然気も合い、声をかければすぐ集ってくれるというようなところから、活動が今までスムーズに継続できたのだと思う。
 次に、資料館を造るためにどうしたらいいか。まず市へお願いしたら真っ先に断わられた。よし、これはしようがないのでいっそ大々的にやって、国の文化財指定を受けるぐらいの意気込みで取り組んだらどうかということから、まったく無謀ながらも文化庁へ会員3名で相談に乗り込んだことがあった。すぐに追いかえされるかと覚悟して訪れたが、丁寧に対応していただき、資料の作り方なども教えていただいた。さらにまた厚かましく、ぜひ現地を見ていただきたいというお願いまでしてみると、時間ができたらぜひお伺いしたいという返事をいただいた。12月になって調査官の先生が現地においでになり、非常に価値が高いのでぜひ文化財指定を受けるべく、活動を続けてくださいというお言葉を頂戴した。そして今年、資料館の建物として私が住んでいたかやぶきの家を糸魚川市へ提供して、何とか国の補助事業の中に取り入れていただいて、資料館は移設、そして見学者のために食堂兼工房を新たに造った。
 今後はその資料整理を国の文化財指定をうけるために会の活動を何としても進めなければならんということで市へ願い出たところ、幸いに今年の6月から予算づけがなされ、申請の為の資料整理作業に取り組んでいる。今現在のところ失業者対策、雇用対策の予算をいただいて、スタッフが7名で作業しているが、なかなか作業は進まない状況である。私は定年後は全部無報酬でその作業に没頭している。
 なぜにこんなに一生懸命やらなければならないのかといえば、この集落を方々で見る荒れ果てて崩れ落ちた集落という形にしたくないというのが我々の願いでなのであって、今後もおいでになる皆さんにそのあたりをPRしながら我々も一生懸命活動していこうと思っている。
田中
 今のお仕事がいわば雇用の場として7名が確保されて、木地屋会の皆様の資料を整理している。そのもう一つの確認ですが、木地屋の里の皆様は初めから現在も9戸で、ずっと増えも減りもしないでずっとこれたということなのか。
小掠
 その通りではあるが、今現在、私の家は資料館になり、それから2軒空き家もある。それで実際住んでいるのは6戸。この6戸も住んでいる人間が8名、よってほとんど1人住まいなので、ほおっておいたら、それこそ明日にでもなくなるような集落の状態にある。これを何とか年取った方たちがいなくなっても我々が何とか定年退職したら山へ登って活動を続けていこうという会員の意気込みから現在に至っている。
 この木地師という特殊な職業の歴史、これを何としても伝えていきたい。この今我々がやっている作業がなかったら、そういった感覚も消えてしまうだろうというのが一番残念に思うわけで、どうしてもこれは残していきたい。それともう一つはさびれかかってもう明日にでもなくなりそうな集落をもう少し活性化させていきたい。それには今後全国津々浦々からそういった関心をもった方たちのご意見を伺いながら、続けていきたい。
田中
 このままだったらもしかしたら消えてしまうかもしれないという木地屋の集落、それをどうしてもこの歴史・文化を伝えていきたい、どうしたらよいのかという投げかけをいただいたようだ。
武内
 私は里神楽について調査、研究をしている。里神楽とは、12の舞があって、舞い手として神主が舞うために神職神楽である。神職神楽のために太夫舞とも言われている。
 私は里神楽について2つの視点から調査をしている。一つは自分自身が名立町の神社に生まれたので、小さい頃から神楽を知っている。大学を卒業してからは地元へ戻ってきたのでそれで、神楽に取組み始めた。自分自身で神事をして終わったあとには神楽を舞う。
 実はこの里神楽といわれるものは、上越市に伝わる里神楽、名立町に伝わる里神楽、能生谷の神楽、谷を越えていくごとに若干変化がある。西浜七谷というのを考えていくと、谷ごとに若干違いが出てくる。そういうことが逆にもう一つの視点、自分が舞手であって、調査をする。その中で見えてきたものが多く、この比較によって学べたものが大きかった。
 谷ごとの違いは、舞を舞うときの採物にもみられる。そういった谷ごとの神楽の伝わり方をしっかりと認識しなければいけない。
 この神楽を保存していくときに何がキーワードになるのか。確かに今神楽は行なわれているが、集まるのは氏子の方、または氏子の役員の方で、しかも平日に開催する。自分も町役場での職があるので、役場の仕事をしながら兼業でやってる。平日やるからどうしても子どもたちが集らない。結局、花がない。祭りというのはやる側も見る側も一心同体になるものだが、子どもたちがいない。そこが問題であって、神楽というものを一つの文化形態として次の世代に伝えていくためには「子ども」が必要。名立の神楽は神職が舞っているために、もう神職で固まって偏重している。これを今度子どもたちにどのように伝えていくかというのが今後の課題ではないかと思う。それともう一つは「音」。谷ごとの音と楽器も残す必要がある。
 最後に、残していく中で難しいと思われるのは、市町村合併の問題であり、それによって文化的なつながりの線引きと行政的線引きが異なってくる。この中でいかに、谷ごとに伝わっている文化をしっかりと自分たちのものとして認識して保存していくか。今、神楽というものを伝えるにしても、市町村合併という目前に迫っているものを見据えながら残していかなければならない時期なのではないかと痛感している。
田中
 今日、地域文化ということを何回かくり返しましたが、実はとんでもない使い方をしていたのではと反省をさせられている。7つの谷ごとにこんなに違うということを見せられたときに、私たちはそれらを踏まえてこれから語っていかなくてはならない。それを実は発見したのが、里神楽を舞うという演者である武内さんと、調査をする武内さんであり、演者と研究者というふたつの立場であったことから発見されたのである。先ほど小掠さんが自分たちが活動を進めてくるのに、少人数で、自分たちでやってきたからまずやれたのだと。このあたりが実は今日のキーポイントなのではないか。地域文化を見直すという人の問題、視点の問題というところで、小掠さんと武内さんのご提言はかなり鋭くしかも重いのではないかと感じる。
野中
 基本的に私が関わっているのは古文書などの形あるもので、それを静止画像で後世に残す作業が中心。ただ、お二人のお話を伺うと、「もの」だけでなく、そのものの歴史、音、無形文化財のような形のないものを残したいということも重要であって、そういう意味では後世に残したいものはたくさんあるので、手法的にはもう少し考えなくてはならないと痛感させられた。
田中
 そのいわば私たちが見直すというところに、何を見直すのか、伝える内容そのものは何なのかということを検討していく必要を感じる。

■十日町市の事例と作り手の想い
高橋
 初めに私が所属する「ディジタルコンテンツ研究会」の目的・趣旨についてお話したい。
 平成11年、新潟県の高度情報化推進協議会から十日町市に対して、「自主実験事業として十日町のデジタルアーカイブを作ってみませんか」という話が持ちかけられたのがそもそものきっかけだった。移り変わる時代の中で消えゆく「暮らしぶり」や「民俗」をぜひ残したいということで、十日町情報館が核になり、市民の皆さんや小学校、視聴覚ライブラリーなどに声をかけて、その受け皿としてディジタルコンテンツ研究会が立ち上がった。
 当時、私は市役所の企画人事課に勤めていたが、その前は博物館文化財を担当していて、市役所の職員という立場よりも、博物館時代に関わりのあった十日町市博物館友の会の“民俗研究グループ”のメンバーでもあったため、そのメンバーの一員としてこの研究会に参加した。
 そこでまずはじめに、十日町の様々な地域の文化財・文化資源がある中でどれをテーマに取り上げようか、そこからスタートした。そこで「雪」をテーマに取り上げることになった。
 というのも、十日町市は小学校4年生社会科教科書の“寒い地方の暮らし”という単元に取り上げられていて、冬になると問い合わせが殺到するため、市の広報公聴係はその対応で手一杯になる。そのうちに質問のノウハウや問答集というのもできたり、雪国十日町を紹介する冊子を作ったりと、下地としての積み重ねがあったのも事実だった。
 つまり、十日町市が遠くの方から一番関心を呼んでいるのは、「雪」であった。話し合いの結果、雪国である十日町、十日町は雪国なんだという部分をPRするようなデジタルアーカイブを作れないかということでスタートした。
 私ども民俗グループは、20代から上は88歳までのおばあちゃんまでメンバーがいて、世代の幅がある。暮らしの変化、社会の変化の中で、今の子どもたちや若い世代には昔の暮らしぶりはちょっと想像できない状況の中で、グループの高齢者の方にいつも聞き取りをし、そして調査をされる側の人たちが逆に表現をしていこうという立場に立った取り組みでもあった。
 それで結局できたのは『とおかまち大辞典―雪国物語デジタルアーカイブ』CD-ROMである。
−CD-ROM実演−
[雪国の昔話]
 全部で7つの項目があり、この中の「楽しむ、遊ぶ」には「雪国の昔話」を収録していて、私ども民俗グループのメンバーの77歳(当時)の女性からお話を聞かせていただいた。
−音声昔話−
 このように十日町の方言を語りで語っていただきながら、また標準語を横に表示して紙芝居風に演出している。
[戦後の雪祭り映像]
 これは、博物館に勤務していたときに、ある男性から若い頃に撮りためていた昭和29年代から昭和30年代の8ミリのビデオテープを頂戴したもので、その中の「雪祭りの芸術作品の原風景」を撮影したもの。私どもは古い白黒の写真でしか見たことのない風景がカラーの映像で残っていたという、大変貴重な映像である。
 実はこの8ミリテープは保存状況が良くなかった。フィルム全体が白く粉がふいていて、再生するとき再生機にかませるつめもぼろぼろになっていたり、穴があいているところを再生機にかけようとしても今の再生機だと穴の大きさや位置が合わなくて再生できないという状態だった。それを県の生涯学習センターに相談したところ、昔の8ミリフィルムを再生できる機械があるということで、そちらでビデオに落としていただいた。そういった過程を経て、今回のCD-ROMに掲載したというわけである。
 このデジタルアーカイブに取り組むにあたって一番課題・疑問に思ったこと、今日はできれば皆さんにヒントを与えていただきたい部分でもあるが、私どものコンテンツは「雪」であって、これは“目には見えるんだけれども融けてしまう”ものであるということ。雪と人との関わりが時代によって変わっていく中で、忘れ去られてしまう暮らしの文化・暮らしぶりもある。そういったものを記録する、現在に至るまでの変化を記録することはデジタルアーカイブでもできるけれども、それを未来に向けてどういう目的で、何を目指して伝えていくのか、あるいはこれが地域づくりに繋がるのかなと感じたりすることがある。これから活用したり、どうしていこうかなというのがひとつ大きな課題になっている。
 この取り組みを受けて市の広報公聴係では市のホームページにダイジェスト版を作って公開したり、あるいはこのCD-ROMを全国の小中学生から問合せがあったときに無料で送ったりしている。本来ならばそこからさらに発展させて、十日町においでいただくことや何らかの交流に繋がることも希望しているが、これからさらにどう活用できるかが課題である。

■デジタル化することの「目的」とは
田中
 地域おこし・地域づくりとどう活用というところで結びつくのかどうかという疑問と同時に、本当に「目的は何なのか」ということとが浮かび上がってくる。この目的の中に仮に地域づくりということを置くとしたら、それは本当に可能なのかというあたりも検討していきたいし、小掠さんや武内さんに先程のCD-ROMを見て、どのように感じられたか伺いたい。
小掠
 このデジタル化ということについてはかなり以前から相当興味を持っていたが、先日TV局の記者の方がおいでになって、「木地屋の里のことが糸魚川市の観光のインターネットのホームページの中にあまり掲載されていない。資料館の写真とか陳列とかいうのはあるけれども、活動についての紹介は何もない。ぜひそういうのをデジカメでもいいですからとっておいて、インターネットの中に取り入れてもらったらどうですか。」とご意見をいただいた。先日も40年前のお客のスタイル、客膳のスタイルを復活させたが、これも報告会の席をそういう形で開催しただけだったので、その時ビデオで残しておけなかったというのは誠に残念だった。そのつどの活動をデジタル化しておけば、いつでもまた後世の人に見てもらえるし、またねじ曲げた考えで作り変えてしまうということもないだろうから、保存の必要性は感じている。
田中
 先ほど武内さんから、音や微妙な違いなどを伝えていかないと「文化」が広域合併も含めてとんでもないことになるのではないかと警鐘的なご発言があり、また高橋さんからは雪そのものは撮れても消えてしまう、暮らしぶりとか記憶といったものを単なる「もの」でいいのかというご提言があった。武内さんはデジタル化ということについてどう考えていらっしゃるか。
武内
 デジタル化していく目的として私が考えるのは先ほど言った「子ども」である。現状、子供達が神楽を見る機会がなく、どういうものが伝わっているかさえわからない。さらに神楽は無形のもの。だからまず伝統芸能としてこういうものがあるということをしっかりと位置付けるために、私は最終的にCD-ROMを作りたい。まずそのためにはどういう神楽が伝わっているのか、どういうものがあるのかということを谷ごととか地区ごとにまず見直してみる。神楽の作法や採物も記録する、さらに時間の関係で舞を省略する場合があるので、映像として確実に残すためには、まず舞台風景、稽古風景を撮っておく必要がある。できあがったものを撮るのではなくて、実際に覚えていく段階のプロセスとか、舞の練習風景からしっかり押えていく必要がある。
 さらに、舞うためには音が必要。だから音源だけでもとっておく必要がある。他にも比べるとすれば採物、舞台、衣装、面はどうかなど様々ある。よって映像化して残すためにはいくつかの段階があると思うが、それらをひとつにまとめたCD-ROMを作りたい。さらに見てもらいたい対象を絞り込むことが大切であり、その対象は子どもである。子どもたちが興味のあるものであれば、すぐ手にとってパソコンで見れる、次の世代に伝える為にはそういう状況を作っていく必要もあると思う。
野中
 高橋さんのご発言にあったように、雪は融けてしまうもの。それを残すという、これは大変なこと。さらに暮らしぶりが変わってしまう。CD-ROMだとか、デジタル化するということは、実際再現できるから今でもできる。当時のフィルムがあれば今はこう変わったよということはできるけれども、変わってしまったものを過去に戻って記録するということは我々にはとてもできない。古いものをあとに残そうとか言っているけれども、実は今が古いかもしれない。今が大事なのかもしれない。今やらないといろいろなことが残るわけがない。だから後世に伝えるだとか、文化の継承だとかいろいろ考えてはいるんですけれども、高橋さんのご発言はこれは奥が深くて、とてもじゃないけど答えが難しい。
田中
 ここで今日の資料として配布している総務省の「デジタルミュージアム構想」について事務局からご紹介いただきたい。 事務局(阿部)(資料「総務省が推進するデジタルミュージアム構想について」説明。)この制度を大量に活用している県、岐阜県や長野県では非常に多くのものをこの補助制度を活用して実施している。しかしながら、全国的にみると制度があってもそれがなかなか活用されていないという状況で、今年は昨年よりも予算が削減されてしまった。岐阜県では新しい産業を興すとか、雇用でも新しい雇用が生まれるとかいう目的も含めて一生懸命取り組んでいらっしゃる。せっかくの制度があるので大いに活用したいところだが、新潟県内では活用が非常に少ない。

■デジタル化する過程で得たコト
田中
 ここで、高橋さんから先ほどのCD-ROMの中で、昔話をしてくれた女性の話をもう少しご紹介いただきたい。
高橋
 先ほどのCD-ROMの中に昔話が語られていたが、こちらで語っていただいた女性は60代になられて寝たきりになった女性の方で、私どものグループに手紙や電話で話し合いに参加していただていた。ある年の冬、冬の寒さのために体がこわばって思うように手が動かなくなってきたんで、グループをやめさせてほしいという電話をいただいた。しかし、何とか思い留めていただいて、それじゃあしばらくお休みしますという返事があった。その後、春・夏過ぎて、ある日1本のテープが送られてきた。そのテープを聞いてみたら、子どものころ歌った歌、正月様を迎える歌だとか、昔話が入っていて、その中の一つに「雪女房」というお話が入っていた。
 ここに雪国に暮らすものの心情というものがあらわれるんじゃないかと思い、この方に録音を依頼した。結果快く録音を受けてくださって、採録できたが、録音に際してはご自身も体が不自由なので、何度も話すのは大変だった。それでもデイサービスなどに行った所でそれを回りの老人にも広めていて、この雪女房のことだとか、昔の暮らし、こういう話し方でいいかとか、そこで輪が広がっていったことがあった。
 こうしたデジタルアーカイブを作っている途中で思ったのは、伝える目的、大きな課題はあるけれども、もう一面として作る課程の中で、私ども地域の人・暮らしぶり、そういったものを再発見していく、そういったプロセスがあるんじゃないかと思う。
田中
 この新潟地域文化デジタル文化研究会は、セミナー第1回目を今年の3月に開催した折は、地域文化とかデジタル化というのは何だか分からないけれども、まずは思いを共有しようというセミナーだった。それが2回目、長岡で開催したところ、もうひとつはデジタル化といういことを突き詰めていくと、何だか見えるよという方向へ動いた。そしてきょう上越では、それを通してどこへ行くのかというところへ直面してしまった。
 3回をとおして感じたのは、きょう小掠さんにまさにシンボリックに語っていただいたように、「思った人がやっている」ということ。そして一人でさっさと出かけていく。さらに自分の家まで提供するという、この思いがないと伝わらないんだなということと、それがあると実は、行政という仕組みがいつのまにかそこへコミットしていく。このことが非常に明確に見えてきた。それから武内さんから教わったのは、これから進めるに当たっては、単なる調査者の視点ではなくて、ご自身が里神楽を舞われるということでそこの違いが見えるという、これは鋭い発見だが、現地で保存することの意味ということと実は重なるのではないか。
今私達が直面しているものは何なのか、どうするのかがこれからの大きな課題ではないか。この課題の部分をきょうはぜひ受け止めていただいて、締めくくりとしたい。

参加者の声
当日のアンケート・その後寄せられた参加者の皆様のご意見などから抜粋させていただきました。

改めて、地域文化とは何かと考えさせられた。どんなにデジタル化やIT化されても、結局「人のつながり」だと思う。(上越市 M様)
近い将来の文化財保存の方向性について、大変刺激的なお話をいただきました。今後の参考になりました。 (新井市 S様)
「地域文化」の地域という言葉は、どういった範囲を想定しているのか。市町村といった行政単位だけでなく、もっと小さい住民単位で保存すべきものについての共通意識がないと文化の保存はむずかしいと感じる。(上越市 H様)
温故知新。まずは古きものを知る(保存)。現在のデジタル等ハイテク技術を駆使し、地域文化などを後世に残すべき。活動をなされている方々の意見を聞けて意義あるものでした。(上越市 K様)

セミナーを通じて、第一部の野中様のご講演で「デジタル化」の一端を知り、第二部のパネルディスカッションでは各パネリストの方々の活動が聞き手の共感を呼び、あるいは新しい方向性の発見につながるなど、充実したセミナーとなりました。

(以上)


2001©新潟地域文化デジタル化研究会